直接民主制のためのバラ
7月に、出張にくっつけてドイツに行ってきた。
もう何度目か数えるのもやめちゃったし、なんでそんなに通うのかも分からなくなってきたけれど、それでもドイツには時々行きたくなる。
今回は仕事の関係もあってベルリンからスタート。
ミュンスター、カッセル、ヴィースバーデンとめぐってきた今回の旅は、なぜかずっとヨーゼフ・ボイス(Joseph Beuys)がそばにいた。
最初の出会いはベルリン。
なぜか突然ボスが行きたいと言い出して訪問したハンブルク駅。
朝から歩き疲れていたうえに、結構な広さがある館内(構内?)で、ざっと流し見している程度だったのだけど、何となくあれ?と心にのこる名前だった。
次の出会いはカッセル。
ここは言わずもがなのDocmentaの開催地。これを目的にこの街に来たんだから当然触れる、7000本の樫の木。今回は、その樫の木の枝を切り取って接ぎ木する映像作品も観た。
この旅の間中、ほかにもいろんなところでJoseph Beuysは私の目の前に現れていた。
特にはっきり意識しているわけでもないのだけど、なぜかそこここで気になる存在になっていった。
そして、帰国する当日空港へ向かう直前に立ち寄ったヴィースバーデンで出会った作品を見て彼は私の頭の中にはっきりと居座る存在となった。
その作品は、Rose für Direkte Demokratie。
「直接民主制のためのバラ」とか「直接民主主義のための薔薇」と訳されている。
メスシリンダーに活けられた1本のバラの花。
ただそれだけなんだけどなぜか妙に心の中に引っかかった。
この放っておいたらすぐに枯れてしまいそうな一輪の切り花は本当に大切ででも脆くて危うい私たちの自由の象徴だと本当に実感できたから。
うちの祖母は今年97歳になる。
最近は足が悪くて外出できないけれど自分で動ける間は欠かさず選挙に行っていた。
「自分が若いころは女性には選挙権がなかったけれど、今こうやって参加できることはありがたいこと。権利はきちんと正しく使わなくてはいけない。」と言って毎回一緒に投票に行っていた。
ボイスのバラを見たとき、その言葉がふと心に浮かんで離れなくなってしまった。
私が生まれるほんの少し前なのに、自由も今ある権利も当たり前じゃなかった時代があった。私が生きている間にまた自由も権利も当たり前じゃなくある時代が来る可能性もゼロではない。だから、それを失わないように毎日ちゃんと見守って必要があれば水を変えて手入れをしていかなくてはいけないのだ。家の片隅に飾ってある一輪の生け花と同じように。
ドイツ語も英語もあまり得意ではなくネット上に日本語の詳しい解説も見つけられなかったのだけど、なんとなくそんなことが心に残り、そして大切なものからは目をはなさず淡々と手入れをしていかなくちゃいけないんだと。そんなことを考えさせられた作品だった。いつまでも気軽にドイツに遊びに行けるような世の中が続きますように。次ドイツに行ったときにもまたヴィースバーデンに足を運んでバラがきちんと活けられているか確認しに行こうと思った。
ヴィースバーデン博物館
http://www.museum-wiesbaden.de/
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」