Eile mit Weile

のんびり、ゆっくり、急がば回れ なブログ

TOEICを受けてみる

3月末で仕事を辞めて求職活動中。

エージェントにもいくつか登録して、履歴書書いて、職務経歴書書いて、ハローワークにも行ってみたけど、どうにもやる気が起きない。

 

 とはいえいくつか条件に合う求人はないかと探してみると、私の希望に合うのはほとんどが外資系の会社。(勤務地の条件つけるとおのずとそうなってしまう。。。)

やってみたい仕事もあるけど、問題は英語力だ。

TOEIC880点以上とか、ビジネスに支障がない程度の英語力とかが条件になる。

だけど私は最高得点620点。

それも割と頑張って勉強した結果がこれ。

やっぱり英語やっときゃよかったなー。でも今更英語勉強したところでなー。とりあえず英語力を求められない会社探すかー。という感じでグダグダしていた。

 

そんなことを、転職の相談している先輩とLINEで話していたところ、「でも620点取れるんだったらちょっと頑張れば750点くらい行くでしょ」と軽く言われてしまった。

「いやいや、結構頑張った結果の620点なんですよ、これ以上頑張れる気がしない」とかなんとか言ってたのだけど、TOEICアプリとNHKラジオ講座で割とスコア伸びたという一言で、ちょっとやってみようかなという気になってきた。

NHKラジオ好きだし、ドイツ語聞くついてでにやってもいいかなと。

 

ということで、6月の受験を目標にTOEICの勉強も始めることにした。

3日坊主の可能性大だけど、ここに一応宣言しておこう。

まいにちドイツ語 05.04.2021.

NHKラジオ 毎日ドイツ語の入門編。

今年は、2019年4~9月期の再放送なのだけど、講師の高橋先生のちょっとしたお話がめちゃ楽しい。

 

高橋先生、ヘビメタ好きなのね。

 

今年は久しぶりにちゃんと学習したいな。

災害時の持ち物 

災害時の持ち物

自分自身が避難するときに持っておくべきものを忘れないように記載。

私は災害対策の専門家でもなんでもないですが、過去の経験から持っておいたほうが良いものを備忘録として記載しているだけなので、もし参考にしてくださるという奇特な方がいらっしゃったら各々の状況に合わせて取捨選択してくださいね。

 

まず、持ち物選定の前提。

 

◆一人で持ち運びができる大きさと重さであること。

持っていきたいものはたくさんあるけれど、大きくて重い荷物を持ち歩くのは体力を消耗する。

最低限2~3日困らない程度の分量にしておく。

 

◆手足が自由に使えること。

荷物はリュック1つにまとめる。

容量は30~40Lを推奨しているブログもたくさんあるけれど、体力に自信がないので自分用は25L。

(以前ハイキング用に購入して1回しか使っていないリュックを使っているだけ、という説もある 笑)

 

 

そして、リュックの中身はこれくらい。

重くないもので色々使い勝手の良いものを中心に選択しています。

 

◆軍手/靴下

台風などの時は靴の中に水がしみたりすることも多いので替えの靴下があったら便利だと思う。
軍手は使ったことがないので要否微妙かもしれないけれど、何かあった時に素手というのは不安だし冬場は防寒にも使えると思うので入れている。

 

◆500mlペットボトルのお水

たくさんあったほうが良いと思うけれど重さで移動が辛くなると本末転倒なのでひとまず500mlペットボトル2本を基準としておく。
余裕があればもう1本くらい足してもよいかも。

◆非常食

選定基準は「火が使えなくても食べられるもの」「栄養価が高いもの」「好きな味のもの」。
私は一口サイズ羊羹とカロリーメイトのメイプル味を常備。

◆カッパ/レインコート

傘は手がふさがるので両手を開けておくことができるレインウェアがおすすめ。

先日の台風の時は強風であおられて傘の骨が折れてしまったので100均のものでもよいのでカッパがあると便利だと思う。

 

◆新聞紙

濡れた靴の水を吸い取ることもできるし、後述の生理用ナプキンみたいに見られたくないゴミ類を捨てる時に包んでもよいし、ゴミ袋と組み合わせて簡易トイレとすることもできる。

 

◆ゴミ袋/コンビニ袋

荷物をまとめて保管もできるし、簡易トイレを作ることもできるし、あると便利。

 

◆ウェットティッシュ、マスク、生理用ナプキンorタンポンなどの衛生用品

女性は避難生活中に生理になるとストレス倍増だし衛生面でもあったほうが良いと思う。

 

◆懐中電灯(ちっちゃめのやつ)

懐中電灯が必要な場合というのは夜に出歩かなくてはいけない場合に限られると思うので、持ち出し用としてはあまり大きいものでなくてOKかな。

自宅が停電になった時用には、別途大きめのものを配置しています。(ランタン型がおすすめという記事もあるので購入検討中)

 

◆着替え

下着類は数日同じものを着ていてもそこまで問題ないと思うので、なるべく少なく。

雨などで濡れてしまったときに着替えられるように登山用の乾きやすいものを1セットのみ入れています。

 

◆携帯ラジオ

スマホである程度情報収集できるとはいえいざという時に充電切れというのも怖いので情報収集用にラジオを持参。
私のはちょっとかさばるけれどライトとソーラー充電・手動発電が付いたやつで、USBケーブルがあればここからスマホ充電もできます。(手動発電はハンドルぐるぐる回すタイプなのでほぼ役に立たないかもだけど)

 

◆モバイルバッテリー

これは持ち出しバックに入れっぱなしだと充電切れとか怖いので、普段スマホを置いているところにセットで配置。いざというときはスマホとセットで持ち歩き出来るようにしている。

 

とりあえず以上。

 

京都国立博物館 「京博寄託の名宝」

いやこれすごかった。

何がすごいって、ものすごい量の国宝重文たちが、たったの520円で鑑賞できるのだ。

私は国立国際美術館の友の会会員なので団体割引扱いで410円。

窓口のお姉さんの「410円です~」という言葉に「はいはい、410円ね・・・え?410円??と思わず聞き返してしまった。

 

ということでしょっぱなから驚きつつ会場内へ。

会場は、「陶磁」「考古」「肖像画」「仏画」「中世絵画」「近世絵画」「彫刻」「中国絵画」「書跡」「染織」「金工」「漆工」にカテゴリー分けされていて、それぞれに簡単な解説がついているのだが、どれもこれもものすごい逸品ばかり。

単体で展覧会の目玉になりそうな作品たちが、そこかしこに展示されていて気が遠くなった。

しかも結構空いていてゆっくり見られるのもよかったなー。

 

特に気になったものを備忘録的に記載。

<考古>

金銅藤原道長経筒

金銀鍍双鳥宝相華文経箱

藤原道長彰子 親子が経塚に埋めたとされる経筒と経箱

特に、彰子が道長のために納めたといわれる経箱の美しさにため息が出た。

 

肖像画

源頼朝

平重盛

教科書でおなじみの源頼朝の肖像。

近年の研究では頼朝ではないという説が有力らしい。

そんな説の真偽のほどは横に置いておいて、装束の黒がものすごく美しかった。

よく見ると装束の黒にうっすらと文様が描かれていて、直線的なパリっとした装束が繊細な生地で作られているのが伝わるような、そんな感じ。

 

<中世絵画>

雲龍図 海北友松筆

四季花鳥図 狩野元信筆

雲竜図は、龍の大きさとそのまなざしの強さに圧倒された。

四季花鳥図は、右から左へと四季の花の移ろいと、飛び回り水を浴び木の枝に休む鳥たちの動きが美しくてうっとり。ここだけでもずっと見ていたくなるくらい素敵だった。

 

そのほかにも、螺鈿と文箱とか、常設の仏像とか、盛沢山すぎて後半はメモを取る気力もないくらいおなか一杯になってしまった。

もっと早く知っていれば、改めて観に行ったのになーと残念に思うくらい良い展覧会だった。

 

展示物リストはこちら

※展示は京博の収蔵品もたくさんあったけれど、リストには寄託品しか掲載されていないそうです。

 

大岩オスカール 光をめざす旅

兵庫県立近代美術館で河鍋暁斎を観たあとに立ち寄ったコレクション展が最初の出会い。

「ぶらじる丸」と名付けられたその作品は、キラキラしたグリーンの海を渡る船が描かれていて、なぜかその船から目が離せなくなったのでした。

この船はどこを目指しているのだろう?

 

そんな彼の大規模な展覧会が金沢21世紀美術館で開催されると聞いたら、行かないわけにはいかない。

日ごろはひとり鑑賞が多い私だけど先輩を誘って1泊2日の金沢の旅に行ってきた。

 

ざっくり好きだなーと思ったポイントを書き出しておく。

1.船

神戸で見た「ぶらじる丸」を眺めていてこの船が目指すところはどこなんだろうな、とずっと考えていた。

今回の展覧会でも、船が描かれた作品がたくさんあって、「ぶらじる丸」と同じように穏やかそうでキラキラした美しい海を渡っている単に船もあれば、夜の闇の中で荒波の中を揺られながら航行する船もあった。

どんな状況の船も、波に流されているのではなく、どこかを目指して進んでいる。その先はそれぞれ個人のゴールというか終着駅とかそういうもののようにも見えるし、人類の生末のようにも見える。

そして今回の展覧会のタイトルが「光をめざす旅」。

船が光を目指しているなんて単純なことではないのだけれど、今度は「光」って何だろうと考えることになった。

 

2.光

タイトルにもある「光」。

どの作品にも、ふわふわした光の塊とか、星の輝きとか、日差しとか、何らかの光が感じられる。

さっきの船のお話にもつながるけれど、「光をめざす」、私の光って何だろうとふと考えされられる瞬間がたくさんあった。

 

3.多様性

・・・というとベタな感じだけれど。

彼は日系ブラジル人で今はアメリカを拠点にしているらしいので、いろんな民族や習慣や文化がまぜこぜになった背景を持っているのだと思うのだけれど、きっと、だからこそ、国とか文化とか言語とか習慣とかの境界みたいなのも意識することが多いのかなと思ったり。

お肉屋さんの作品がそれをすごく感じさせられた。

ちょうどあいトリで観た永田さんのTranslation Zone のような感覚がある。私みたいな超ドメスティックな人間には感じられないような、いろんな文化が混ざるその境目みたいなものがそこにはあって、それは完全には取り除くことはできないけれど、いろんなものが混ざる境界線のあいまいなところと明瞭なところの境目(意味不明だな・・)を感じるような作品があった。

 

ちょっと何言ってるかわからない文章だしほかの人の参考になるような文章ではないけれど、備忘録ということで。

写真は後日整理出来たら載せるかも。

 

 

あと、今回の旅で驚いたのが金沢の食の豊かさ!

お寿司屋和食は当然だけど、地元の食材を使ったフレンチが最高に素晴らしくて感激した。

お値段もリーズナブルだしまた是非訪問したいなとおもったのでそちらも備忘録として載せとく。

www.enso-kanazawa.com

あいちトリエンナーレに行ってきた ー円頓寺篇ー

円頓寺と書いて、「えんどうじ」と読むそう。

読み方が全く分からなかった。

 

さて、その円頓寺

他の会場と違って、商店街の中に作品が点在している。

色々回りすぎて疲労困憊だったのであまりしっかり回れなかったけれど、このエリアでは毎週木~日曜日はフリーライブがあったり、いい感じの飲み屋があったり、ちょっと違った趣でまた楽しそう。

 

ここで気になった作品は、ダントツでキュンチョメ!

 

キュンチョメ

声枯れるまで

こちらも全部観ると1時間くらいかかる映像作品。

3人の人たちがそれぞれ自分の名前を変えた理由を語る。私の周りの名前を変えた何人かの友人知人のこと、名前は変えたいないけれど自分自身が感じていた窮屈さのこと、いろいろ考えながら気が付いたら全部観てしまっていた。

自分の名前は生まれた時から与えられて、それを変えることがどういうことかなんて深く考えたこともなかったけれど、名前って大切なものだと改めて考えさせられた。彼・彼女が名前を変えた時の気持ちなんて想像もつかないけれど・・・。

あと、女性の方のインタビューがめちゃくちゃ上手だなと思った。

なんやろ、つかず離れず、でも彼らの言いたいことをすっと引き出す感じがふしぎだったなー。

 

 

 

そしてこの日の円頓寺フリーライブの出演者は高校生ミュージシャンの崎山蒼志くん。

初めて名前を聞く方だったけど、ギターがもうめちゃくちゃよかったよ。

 

そんなこんなで、一通りのレビュー終了。

これを少しずつ書いている間にも、展示が中止された作品がさらに増えたり、展示内容が変更されたり、いろんな変化が起こっている。

それをリアルタイムで体感できているのは、実はすごいことなのかもしれない。。。

もう数日お休みが取れるはずなので、また行ってみようかなと、ぼんやり考えたりしているのであった。

あいちトリエンナーレに行ってきた -名古屋市美術館篇-

続きを書こうと思っている間にも、あいちトリエンナーレの状況はどんどん変わってしまい、とうとう展示中止が9作家になってしまった。

8/17時点のニュースでは、一部の作家の方は、完全に閉鎖するわけではなく展示内容変更ということなので新しい作品が何等か見られるのかな…とは思うけれどこれからどうなるのか?

 

さて、名古屋市美術館の印象に残った作品。

 

藤井光

第二次大戦中の台湾での訓練の様子を記録した映画と、その様子を再現した映像が1つの空間に展示されている。

過去の映像は過去の映像として鑑賞していたのだけれど、その横で流されている再現映像を観ると、当時の異様さがさらに強く伝わってくる感じ。

 

 

モニカ・メイヤー

ピンク系のカラフルなカードに書かれているのは、世界の女性たちが受けてきた性的差別に関するエピソードや、その時の気持ち、どうなってほしいかという願い。

私と同じタイミングで会場に入った若い女の子たちが、最初は「わー、かわいい!」とはしゃいでいたのに、徐々に静かに真剣にメッセージを読み進めるようになっていく姿が印象的だった。

この作品は、8/20以降は展示中止or変更となる模様。

 

 

カタリーナ・ズィディエーラー

Shoum

英語がわからないセルビア人(だったかな?)の男性二人がTears for Fearsの「Shout」の歌詞を文字起こししていく過程をおさめた映像作品。

言葉がわからないなりに理解し言語化しようとする姿勢と、その結果完成したよくわからない文章の羅列に、言語ということを考えさせられる。

 

芸術文化センターでは「家族」とか「人」とか、どちらかというと個に対する問いに気持ちが傾いたのに対し、こちらでは「人権」とか「戦争」などの社会や世の中の流れ見たいたところに気持ちが動いた気がする。